Pashat's Book Diary

いままで全然本を読んでこなかった貧乏アラフォーがブックオフで100円で買える本を読み続けるブログ

「人間にとって成熟とは何か」曽野綾子

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成熟しきった人間なんていない。みんなどこかは腐ってるしそれで良い。

 

本当に心の底から平和を願っているか

もちろん世の中の理不尽な出来事がなくなって、誰もが平等に自由に幸せに生きてゆければそれが良いと思う。って心の底から思えればそれはそれで良いのだが、本心はというとそれはちょっと違うかなって思う部分もある。

物事を白黒ハッキリつけることなんて無理というか、どっちつかずのグレーだからこそワクワクもするというか。理想郷やユートピアって、ある一線越えると気持ち悪いものでしかないじゃない?

「悪」には「善」にない面白さ、魅力や刺激がいっぱいある。「悪」が世の中から消え去ればこの世はとても退屈だ、と思いつつ今日も平和に残酷な映画やドラマ、ゲーム、漫画などで「悪」の欲求を満たしている。

 

年齢って人に言いたくないのはななぜだろう

わかる。私もSNSなどで年齢を公表できないタイプ。

たぶん歳をとってる自分に自信がなく精神的にも肉体的にも今の自分を肯定することができないのだろう。自分を肯定できる人はこんなつまらないこと気になんてしないだろう。

 

祈りって

私は普段あまり体調を崩すことが少ないせいか、ちょっとでも風邪をひこうものならかなり気持ちが萎えてしまう。そんなときでさえも神さまどうか早く体調が良くなりますように、などと祈ってしまうぐらい結構神頼みを頻繁にしてるかもしれない。

で、その「神」って何なのだろう。私は何か特別な宗教に属しているわけでもなく、信じる神なんてものはない。でもたまに出てくるこの「神」とは一体何なんだろう。それは自分にとって都合のいいものであることは間違いないけれど、何かにすがりたくなるとき、祈りたくなるとき、つい謎の神さまに対して祈ってしまう。

ただ、どんなときであろうと祈ることは何もおかしくなんてない。家族や友達に何かあれば祈るし、テレビで見るニュースの結末がこれ以上悪くならないよう祈ったりもする。「神」が何であれろうが祈りは希望に変わる。因みに私がピンチのときに想像する「神」は白い袈裟を着た白髪のヒゲ爺さん、ほぼスーパーゼウスみたいな感じだ。

 

「人間にとっての成熟」って結局なんなの

大体のことを謙虚で誠実な姿勢を持ってのぞめば人として成熟していくのだろうか?

でも、そこは人間なので絵に描いたような聖人なんていないはず。年齢を重ねても心が成熟するとは限らない。言葉で言ってることと、心で思っていることは全然違ってて矛盾だらけ。そんな感じの適当さもあるのが人間らしさなのではないかと思う。

歳を取ってはいるが成熟していない人間がモノ申すと「老害」と言われることがあるが、自分が歳を取ったとき、若者が私の何かしらの意見や話を聞いて「なるほどなぁ」ぐらいの気持ちのリアクションがもし得られるのであれば、多少は人間として成熟したのかなぁなんて思えるのかもしれない。


自分を見失いがちな自分には結構ささる内容が多かったです。

ブックオフにて100円で売ってます。